かつて産炭地として隆盛を極めた都市・飯塚市。しかし、時代の流れによるエネルギー転換のなかで、産業・経済構造の変化の波に晒されてきた。現在、同市は産炭地のイメージからの脱却を図り、IT特区構想や企業誘致策、中心市街地活性化策など、さまざまな再建策を模索中である。かつての産炭地の「火」は、再燃できるのか―。飯塚市長の齊藤守史(さいとう・もりちか)氏に、フリーアナウンサーの中村もとき氏が話を聞いた。
<商店街に活気を>
中村 ただ、まちというのは生きていますから、福岡の場合もそうですが、かつて中心だったところがだんだんと中心じゃなくなってきたりします。ここ飯塚の商店街も、以前に比べて随分と寂しくなりました。
齊藤 飯塚の商店街でもシャッターが下りている店が多くなっていますが、これは後継者がいないことが問題です。たとえば私たちの年代でも、商店街に残っている人間というのは何人もいません。みんな外に出て行ってしまっています。そのため、空き店舗が増え、商店街の活気がなくなりつつあるのです。
一方で、冒頭におっしゃられたように、現在飯塚市は、穂波町、筑穂町、庄内町、頴田町と合併しており、もちろん、そこにもそれぞれの商工会が残っているのですが、そこで商売をやろうとしても、現在の人口減少の流れのなかでは難しいものがあります。
そこで、各商工会に、「中心市街地に空き店舗がありますから、そこを安く借りて、商売をやりたいという方は来ませんか」「一緒にまちづくりをしませんか」というようなことを投げかけています。
ただ問題は、中心市街地の家主さんが安い値段で貸そうとしないことです。たとえば「10万円の家賃でしか貸しませんよ」と言ったりするのですが、そこはただ閉めているくらいなら5万円の家賃でも貸してあげた方が良いと思うのです。貸して、そこで人が商売をしてまちが活性化してくれば、家賃も自ずと少しずつ上げていけるわけですから。
中村 ホテルの経営と同じですね。空き部屋にしていても一銭にもなりませんが、半額でもお客さまを入れればお金になります。
それに、今話されたように、合併した市町村の経営者がここに来て一緒に商売をするようになれば、それこそ合併の本当の意味が出てくるわけですよね。
齊藤 そうですね。それは商工会と一緒になってやっていかなければなりません。ただ問題は、たとえば行政が家主さんとの間に仲立ちして、「あなた安くしなさいよ」と、言っていいかどうかですね。
中村 それは「株式会社飯塚市」であれば、当然そこの「社長」が言いに行かないと(笑)。そこで初めて、「株式会社飯塚市」になるわけですから。
【文・構成:坂田 憲治】
齊藤 守史(さいとう もりちか)
1948年10月生まれ。日本大学商学部経営学科卒。1971年7月一番食品(株)入社。76年9月同社専務取締役、96年4月同社取締役副社長、98年4月同社代表取締役社長を経て、10年4月同社代表取締役会長に就任。06年4月、新市発足にともなって行なわれた飯塚市長選挙に出馬し初当選を果たし、現在2期目を務める。信条は「我以外皆我師也」。
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